最後に2012年08月29日 08時51分

今日でリレーブログの担当も最終日となりました。
一週間おつき合い頂きまして有難うございました。

最後に改めてお知らせをさせていただきたいと思います。

今回太白区の楽楽楽ホールにて企画されているショパンの
サロンの中で私はショパンのノクターンを担当させて
頂くことになっています。

9月29日の土曜日、16:00より心を込めて演奏させて頂きます。

皆様に会場でお目にかかれますことを楽しみにしております!



ゲルティンガー祥子(ピアノ)

ショパン2012年08月28日 10時49分


その昔“ヘクサメロン変奏曲”という、
リストを中心に、タールベルク、ピクシス、ヘルツ、ツェルニー、
ショパンという当時のピアニスト兼作曲家6人が、ベッリーニの
オペラの素材からつくった変奏曲で腕を競い、ある慈善演奏会の
ために合作した作品のショパンを担当した事があるという理由だけで
当時その曲を共演した恩師のペーター・レーゼル氏からは
いまだにミスター・ショパンと呼ばれている私(苦笑)。

実は、今まで自分からプログラムとしてショパンを選んだ事は、
ほとんどありません。

昔からなのですが面白い事にシューベルトの作品に取り組んで
いるとショパンを弾く機会を呼ぶようなのです(笑)

実は今回せんくらでショパンをというお話を頂いたのもちょうど私が
シューベルトの作品に取り組んでいた時で、ショパンという名前を
聞いたときは思わずオッ!と小さく声がでてしまいました(笑)

どうやら神様は私を常に対極な方向へ連れて行きたいらしい・・・

性格の違う2人の楽曲を分析し対照的な部分を探すと数えきれない
程でてくるわけですが、同じく興味があるのはやはり2人の人生に
おいての様々な相違点。

例えば一つだけあげるとしたら・・・

人生の半分近くをパリで過ごし、外国から祖国ポーランドを想い
続けたショパンと、ほとんど外国にでることなく、生涯オーストリア
国内で生きたシューベルト。

まずそれだけでも十分な視点の違いがあると想定できますね。

シューベルト目線でショパンに入るのもなかなか面白いですが
やはり実際弾いてみると・・・

ええ、もちろん気持ちは切り替えないと難しいです(笑)


ゲルティンガー祥子(ピアノ)

セ ラ ヴィ2012年08月27日 08時47分


つい先日シリア出身の友人に連絡をとりました。
シリアの状況をニュースで目にするたび心が痛んでいたので。

友人いわく家族も無事だし地元に関しては心配いらないとは
話していましたが、遠くからみているとそれでも心配になって
しまうものです。

戦争、内乱・・そういうものと常に隣り合わせに暮らしていますが
どんなときも変わらず穏やかな人柄で、
いつもその場に平和をもたらしてくれるような(!)
そんな友人。

振り返るとこれまでに、その友人と一緒に行動していると
世の中の不条理さについて考えさせられるような出来事が
たまたまよく起こりました。

一緒に広島を訪れた際、原爆死没者慰霊碑の前で、
“この過ちは二度とくりかえしませんから”という言葉を心に
刻んでいたまさにその日に、皮肉にも海の向こうではイラク戦争が
勃発したり、たまたまエジプトで入ったカフェテリアのテレビで
私達共通の知人である映画監督が、たまたま結婚式に参列する為に
訪れたヨルダンでテロに遭い亡くなってしまったというニュースを
目の当たりにしたり。

3.11の震災後、気分の落ち込んでいた私を心配してかけてきて
くれた電話で慰めの言葉の代わりにその友人が言ったのが

“C’est la vie“  

色々な意味をもつこの言葉だけど、
あのときほど心の奥に響いた“セラヴィ”はなかったかな。



ゲルティンガー祥子(ピアノ)

東京2012年08月26日 08時46分

今日は自分のプロフィールの裏側を少し。

これまでの私の住民票の主な移動は
石巻→東京→パリ→ベルリン→ドレスデン→ベルリン→東京
今の所このような感じになっています。

私が初めて留学した当時、
10代で日本からヨーロッパへ留学する人の数は
現在に比べればまだそんなに多くはなかったため
“若くて右も左もわからない国へ一人でいくとは勇気がありましたね”
と言われることは度々ありましたが、正直にいいますと、私にとっては、
一番勇気をふりしぼったのは15の時石巻から高校進学のため上京し、
過ごした東京での3年間でした。

あの時のカルチャーショックの激しさに勝ることはその後なかったと
思います(笑)
親から離れ、初めて自分一人だけの視点でみたものというのは
やはり印象が強くなるものなのでしょうか。

もちろん国が変わると文化の違いは明らかにあるわけで、
何をカルチャーショックとするかですが、
ここではあくまで日常生活の視点でと言う意味です。

今思えば田舎育ちの私にとって、全般的にヨーロッパのテンポは、
東京のような都会よりは、案外とらえやすいテンポだったのかも
しれません。
実際向こうに行ってやはり少し安心感がありました。

15歳から数えるとその倍以上も歳をとった今現在、
東京暮らしに再挑戦中!

帰国して東京に住み始めてもう4年は経ちますが、
歩いていても、車を運転していても
常に若干緊張気味というのは未だ変わらず・・・(笑)


ゲルティンガー祥子(ピアノ)

故郷2012年08月25日 10時48分



私の出身地は
宮城県の石巻市です。

普段東京で暮らす私はたまたま震災のあった3月11日のあの時間、
まさに石巻の街中にいてその後は外部との連絡が途絶えたまま
一週間ほど過ごしました。

自分が助かったことに対する違和感を覚えるくらい絶望的な風景や
人々の表情は、言葉で説明することは難しく、ただ生涯忘れることの
出来ないものとして残っています。

あの時そこにいた人の数だけストーリーがありました。

色々な事を思ったけれど、その中でひとつ小さな驚きが。
それは失った景色を見て記憶が蘇ったことです。

震災によって何もなくなってしまったり
変わってしまった場所を目の前にしたとき、

ここで地面に座り込んでみんなでスケッチをしたな、とか
ああここであんなことが起こったな、とか・・・

ほんの小さな、すっかり忘れていた幼い頃の思い出が、
引き出しの奥の奥からポロポロと見つかったのです。

ものが簡単に失くなってしまうことがあっても、
記憶は簡単に失わないと、実感した瞬間でした。

15歳で離れた故郷ですが、年を重ねる毎に帰ることが
楽しみになっています。

そして、故郷を思う気持ちとはこういうことなのかなと
少しわかったような気がする今日この頃です。



ゲルティンガー祥子(ピアノ)