音楽祭 その2 ― 2012年08月06日 09時45分
せんくらブログ4日目!
昨日に続いて音楽祭について。
海外の音楽祭といえば、北九州国際音楽祭の室内楽コンクールで
優勝した際に副賞で頂いた「TOTOクフモプライズ」で行く事が出来た
1995年のフィンランドのクフモ・フェスティバル。
白夜のシーズンで夜も明るいので、朝から夜中までずっと様々な
コンサートが続く「マラソンコンサート」がありました。
クラシック音楽だけでなく、バロック、タンゴ、ジャズ、民俗舞曲、と
色々なジャンルの音楽にここで触れる事が出来ました。
滞在中に、レッスンを受けさせて頂き、コンサートで涙が出る程感動的な
演奏をされたクリスティアン・アルテンブルガー先生に長期的に習いたい!
と思い、先生が当時教えていらしたドイツ・ハノーファー留学を決めました。
湖と木のゆったりとした自然の景色の美しさと、当時日本ではかなり
珍しかった携帯電話を、フィンランドの子供達も使用していた最先端さ
のギャップに、驚きました。
熱いサウナから、みんなで冷たい湖に飛び込んだのも、
懐かしい良い思い出です。
今回最後に書くのは1995年のイル・ド・フランス・フェスティバル。
パリ郊外のお城、ヴィラソーで開催された音楽祭。
ヴィオラのジェラール・コセ氏に招かれ、日本からヴィオリストとして
参加しました。
私は当時ヴァイオリニストとしてか、ヴィオリストとして留学しようか、
かなり悩んでいた位、ヴィオラの魅力に取り付かれていたんですね。
その前に参加したクフモ・フェスティバルで、ヴァイオリンでドイツに
留学する事を決意していましたが、ここでヴィオラの世界にどっぷり
浸かり、この楽器の特長を再確認出来たのは、今オーケストラで
演奏する時にとても役立っています。
また期間中一歩も広大なお城から出なかったからか、フランス人、
チェコ人の音楽家と室内楽、食事、散歩、ゲームを連日一緒にして
過ごしたおかげで、とても親しくなりました。
その親しくなった音楽仲間の中の一人には、室内楽奏者として招かれて
いたフランス人チェリストで、音楽祭の6年後に私と結婚した主人も。
何ともいい音楽祭でした(笑)!
今まで宮崎、ナント、モンゼー、サイトウキネン、サンドニ、
オーストリア国際室内楽、シエナ、ヴィルクローズ、e.t.c...
と数多くの音楽祭に参加させて頂きましたが、参加する度に素敵な
出会い、発見があります。
今度のせんくらではどんな良い事があるか、今からワクワクしています!
神谷未穂(ヴァイオリン)
観客は牛さん? ― 2012年08月06日 10時20分
昨日のSL登山鉄道で30分。
うしたちも、音楽を聴いてくれるかの実験。
ちなみに、ほとんどの牛さんがこちらを向いて聴いてくれました??
もしや・・・セロ弾きのゴーシュや
ブレーメンの音楽隊も実話・・・!?
(演奏曲:タイスの瞑想曲)
牛たちが首につけている鐘ですが、実のところかなり頻繁になるので、
とても賑やかです。
実際行って見るまでは、あっちでガラン、こっちでゴロン・・・・
っていうのを想像していたんですが、
草を食べる時・・・・
首を動かした時・・・
移動中・・・
だけでなく、
耳を動かしたり・・・・
尻尾を振っても・・・・・鳴るんです!
つまりはハエを追い払うのに・・・ですね(笑)
もし僕が指揮でR.シュトラウスを振ることがあったとしたら・・・・
ガラン ガラ 、ガラン、ガラ、ガラン
ゴロンガラン、ゴロン、ガラ、ガラ・・・
かなりうるさくやってやる。
西江辰郎(ヴァイオリン)
修行時代に先生に言われた印象的な言葉【4】 ― 2012年08月06日 10時36分
「リストは無邪気でかわいい人だと思う」
(パスカル・ドヴァイヨン先生)
“B-A-C-Hの主題による幻想曲とフーガ” でレッスンを受けている時、
先生はふとそうおっしゃいました。
歴史に残る楽聖・リストがどう「カワイイ」というのでしょうか。
先生の言葉は当時20代だった私にとって、直ぐにピンと来るものでは
ありませんでした。
「ヴィルトゥオーゾ、社交界の名士、教育者、宗教家。リストの音楽を
聴いていると、 彼はいくつもの顔を持っており、そのひとつひとつを
懸命にこなしている様子が伝わって来る。宗教的な曲では、純真で
明快な陶酔感が僕には微笑ましく感じられるんだよ。そんなリストの
音楽を、包容力を持って弾きなさい。」
40代になり、モーツァルトやシューベルト、ショパンといった天才たちの
生涯よりも自分の音楽人生が(勿論、凡才としてですが)ずっと長いもの
になりそうだと実感した時、先生が仰った「包容力」という言葉の持つ
ニュアンスが少し理解出来るような気がしたのです。
我々は、若くして夭逝した天才たちの年齢をあっという間に越えてしまいます。
60歳になった時に、31歳で亡くなったシューベルトの音楽にどう接する
べきなのか。
かつては憧憬の念を持って仰ぎ見た音楽を、「大人」になってからは
包み込むように演奏する。
社交界の寵児だった青年ショパン、若くして死と対峙したシューベルト、
様々なアイデンティティをさすらい求めたリストの心の声に、愛で慈しむ
ような気持ちで取り組む事が、演奏家の最終的なひとつの理想形
なのではないでしょうか。
青柳晋(ピアノ)
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